戊辰戦争 《 幻の東北列藩・プロイセン連合 》 [雑 感]




2010年10月、ドイツで驚きの外交文書が見つかった。

それによると戊辰戦争(1868~69年)の勝者と敗者は逆になっていたかも!?幕末史の知られざる謎に迫る。



戊辰戦争のさなか、プロイセン(現在のドイツ)の駐日公使から、本国の宰相ビスマルクに送られた1通の書簡。



そこには「軍事支援の要請」と、その見返りに会津藩と庄内藩が

「蝦夷地(北海道)をプロイセンに売却したい」という意向を伝えてきていることが述べられていた。


両藩が、ひそかに、そうした外交に乗り出していた背景には何があったのか?なぜ、

ビスマルクはその提案を受け入れなかったのか?  


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BS歴史観を拝見して思った事。

戊辰戦争のさなか、フランス・ドイツ・イギリス・アメリカ・他の国々が、混乱していた日本の状況を詳しく知っていたんですね。


戊辰戦争終結後、会津藩の家族がサンフランシスコに、移り住んだとか。

南北戦争終結後、銃などの武器を会津藩に売却? などなど、疑問は膨らむばかり、


会津藩は諸外国からも注目されており、タラレバで考えると、もっと早く武器を手にしていレバ、もっと日本が世界の情勢を知っていタラ、戊辰戦争無かったかも知れない。



いずれにせよ、戊辰戦争は、矜持など、窮屈で悲惨な戦争であり、失ったものは、あまりにも大きい。


       後光 001.JPG








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